prologue

 この世に存在する「美しいもの」に、俺は他の人よりもほんの少しだけ多く触れてきたと思う。

 それはラファエロの慈愛に満ちた「聖母子像」だったり、ミケランジェロの「アダムの創造」や、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」だったり。

 魂の深い部分を揺さぶられるハイドンの「天地創造」、どこか懐かしく、子供の頃の夢を思わせるようなヘンデルの「ラウダーテ・プエリ」──そして、誰しもが生涯で一度は聞いたことがあるであろう聖歌「メサイア」。

 それからもう一つ、俺が大好きなピアノの曲。これに関してはタイトルも作曲者も分からないけれど、初めてCDで聴いた時から俺の鼓膜に入り込んで離れない、美しく勇ましい思い出の曲。

 音楽や絵画に関する専門的な知識なんて少しも持っていないけれど、俺は子供の頃からそういった数々の「美しいもの」を目にし、耳にし、触れてきた。

 それらはあくまでも「動かない作品」だった。

 美しい絵画は厚みのある本の中だけに存在している物だ。いや、本物の聖母子像だって、キャンバスの中だけに存在している物だ。心地好い聖歌もディスクや映像の中、またはステージの上だけに存在している物であって、それらは決して一人歩きをしない。ただそこに存在しているだけで人々を喜ばせ、涙を流させ、時代を越えて魂を魅了する。

 だから俺はそれらを目にし、耳にしている時は感動できても、一度本を閉じ、ディスクをケースにしまってしまえば、僅かな余韻が残っている中で今晩の夕飯のことなんかを考えてしまっている。それが悪いことでないのは分かっているけど、後になって思い返してみると、やはりどこか寂しいものがある。

 人間は二十四時間三百六十五日、常に美しいものに触れてはいられないのだ。自分達の存在しているちっぽけな世界の猥雑さやつまらなさを実感しているからこそ、美しいもの達はひと時の癒しを与えてくれる。それでいいと俺は思う。

 だけど、俺は知ってしまった。

 息をする存在を。言葉を話す存在を。歩き、食べ、笑い、怒る、そんな存在を。

 この世に「生きている」、美しい物の存在を──。