第8話 先生と懐かしい親友

「先生っ、……そ、そろそろ夕飯の買い物に行かないと……」
「やめていいのか?」
「やです……あ、あうっ、もっと……!」

 おやつの時間も過ぎた午後三時半、俺は先生の下で腰を突き出しながら平日の贅沢なひと時を満喫していた。夕飯の買い物に行かなければならないのは分かっている。もう少し遅い時間になると途端にスーパーが激混みしてしまうのだ。

「せんせ、……晩飯、何が食べたいですか……あぁっ」
「今日は肉の気分だな」
「に、にく……肉っ、あ、……せんせ……流石ですっ……んあぁっ!」
「大丈夫か黎人……」

 バックで突かれるのは先生の顔が見えなくて寂しいけれど、その分、先生が野性味溢れる腰の振り方をしてくれるからこれはこれで大好きだ。俺はシーツを握りしめ、先生のペニスが中を突くたびに声を張り上げて応えた。

「出すぜ黎人……」
「お、俺もイきます……!」
 その瞬間は、いつもお尻がきゅっとなる。先生が脈打つのがスキン越しに分かる。熱い体液が注がれるところを想像すると堪らない。

「ふあぁ……気持ち良かったです……」
「これから買い物か?」
「そうですよ、肉買ってこないと。何のお肉がいいですか?」
 スキンを外して口を縛りながら、先生が立ち上がって寝室を出て行こうとした。

「たまには俺も一緒に買い物へ行く。シャワー浴びてくるから待ってろ」
「え? 珍しい……」

 いつもは面倒臭がって外出を嫌うのに、わざわざ混雑する時間の買い物に付き合ってくれるとは。この初夏の季節に雪でも降るんじゃないだろうか。

 *

「とりも美味しいけど、牛や豚もいいですよね。先生、どのお肉がいいですか?」
「鍋にすればどの肉も楽しめるぞ」
「全部食べたいんですね。……まあ今月は先生の新作の印税も入りますし、少しくらい贅沢してもいいか」
「家計のやりくりは頼んだぞ、黎人。俺は酒を見てくる」
「迷子にならないで下さいよ。俺はここの通路に沿って歩いてますからね」

 目を離せば子供のようにどっか行ってしまう先生なので、一人で買い物している時よりもずっと気を遣う。

 便利なもので、夏でも冷房の効いた部屋で鍋を楽しめる時代だ。野菜もたっぷり入れて、豆腐とシメジ、エリンギもあってもいいかな。
 それから、夕飯の後のデザート。今日は晩飯に金を遣う分、百円の安いプリンでいいか。好きだし。明日の朝飯のパンと、カップラーメンも買い置きしておこう。

「黎人」
「あ、先生。早かったですね、お酒選んできました?」
 先生がカートに乗せたのは日本酒「あかつき」の一升瓶だった。珍しい。普段は日本酒なんて飲まないのに。

「ビールじゃなくていいんですか?」
「これが美味いらしい。ビールも持ってきたけどな」
「ええ、もう……どっちかにして下さいよ」
「黎人の好きな桃ソーダも持ってきたぞ。1リットルの方がお得だった」
「そうやって誤魔化すんですから……」

 カートを押して歩きながら材料を選んで、ついでに、ついでにと色々取るうちにカートの中がいっぱいになってしまった。車がないとこういう時に不便だ。

 レジに並んでいると、前の方で聞こえてきた別の人の会計のやり取りに先生が反応した。
「レジ袋はご入用ですか?」
「あ、袋は大丈夫です」
 大きな私物の袋を会計カゴにかぶせて、そこへ商品を詰めてもらっているマダム。袋詰めの手間が省けるサービスだ。

「おい。レジ袋に金を取ってるぞ、黎人」
「え? ああ、スーパーとかコンビニの袋も最近は有料なんですよ。俺ちゃんとエコバック持って来たんですけど、こんなに沢山じゃ入りきらないですね」
「有料ったって、2円だの5円だのだろ。そのくらいタダみてえなモンじゃねえか」
「そうは言いますけど、俺達は毎日買い物してるんですよ。コンビニに行く回数とかも考えれば、塵も積もればってヤツですよ」
 とは言え俺の持参したエコバックには入りきらないので、仕方なく今日は有料レジ袋をもらうことにした。

「重い方は俺が持つぞ」
「ありがとうございます先生、食材いっぱい入ってますから落とさないで下さいね」
 スーパーから家まではそれほど遠くない。古き良き商店街を通って三つ目の角を曲がれば家だ。

「黎人。いま何時だ?」
「もうすぐ五時になります」
「いけねえ、店が閉まっちまう」
「あっ、先生どこ行くんですか!」

 突然小走りになった先生の後を追って行くと、一軒の小さなタバコ屋の前で先生が足を止めた。

「マイルドセブンのカートンを四つだって。聞こえた?」
「マイルドセブンね。カートンの……幾つだって?」
「よっつ、だってば! ったく仕方ねえなぁ……」
 タバコ屋の前には客らしき爺さん。店番をしているのは客よりももっと年を取った爺さんで、どうやらひどく耳が遠いらしい。同じやり取りを何度も繰り返し、客の爺さんの方は相当イライラしているようだ。

「あいよ、カートンで四つ」
「どうしようもねえなもう……」
 ブツブツ言いながら、支払いを終えた客の爺さんが自転車に乗って去って行く。

 その爺さんと代わるようにして、先生がタバコ屋に近付いて行った。

「あれ。先生って、煙草吸うんでしたっけ? 見たことないけど……」
「たまにな。依存してねえから普段は吸わねえけど」
 健康については心配だけど、個人的には男性が煙草を吸う仕草は嫌いじゃない。……だけど煙草なら、さっきのスーパーでもレジで売っていたのに。

「おい、爺さん」
 先生がカウンターの向こうの、例の耳が遠い爺さんに言った。
「爺さん!」
「ん? ああ、お客さん。いらっしゃい……ん? お前は……」

 先生を見たタバコ屋の爺さんの顔が、急に険しくなる。皺だらけの顔を歪めて先生を睨み付け、「お前に売る煙草はねえ」と吐き捨てたのだ。

「そんなこと言わずに売ってくれよ。爺さんがくたばってねえか、わざわざこうして様子見にきてやったんだからさ」
「せ、先生……!」
 そんな失礼なことを……とヒヤヒヤする俺の予感通り、タバコ屋の爺さんが真っ赤になって怒りだした。

「お前より先にくたばってたまるか! 黒川、貴様は相変わらず口の減らねえ野郎だ!」
「あんたの前だとつい本音が出ちまうなぁ」
 俺は驚いて先生と爺さんの顔を交互に見た。どうやらこの二人、かなり昔からの知り合いらしい。

「ったく、へらへらしやがって……。セブンスターだったか、一箱でいいのか」
「ああ、頼む。俺も土産を持って来たからよ」
 そう言って先生がレジ袋の中から日本酒「あかつき」を取り出し、ドスンとカウンターに置いた。それを見た爺さんの顔が、さっきまでの怒りはどこへやら……途端に満面の笑みになる。

「なんでい、気を遣いやがって。まあ上がってけよ黒川、一杯やろうや」
「いんや、俺はこれから仕事があるからよ。奥さんと飲んでくれ。また来るからよ」
「おう、次は俺も美味い酒を用意しておくからな。仲間も呼んで宴会といこう」
「楽しみにしてるよ」
「……会えて良かったよ、黒川」
「俺もだ」

 じゃあな、と先生が煙草を受け取って店を離れる。訳が分からず先生の隣を歩きながら、俺は今のやり取りについて聞いていいものかどうか迷っていた。

 どこからか吹いた風に乗って、深みのある煙草の匂いが、ふっと鼻先をかすめる。
 その匂いに背中を押された気がして、俺は小さく微笑みながら先生に言った。

「タバコ屋のお爺さん、嬉しそうでしたね」
「あの爺さんは毎年、俺の爺ちゃんの命日に酒持って訪ねてくれていた。何年か前から足腰が弱って、俺の方から出向くようになったんだ」
「先生と話してる時は、一度も聞き返してなかったです。はっきり聞こえてたんですね、先生の中に見えていたお祖父さんの声が」
「ボケちまって、二年前くらいから俺のこと爺ちゃんだと勘違いしてんだ」

 タバコ屋の爺さんにとって先生は、若かりし頃の親友、そのままの姿なのだろう。先生と話すあの時だけきっと、爺さんも懐かしい「あの頃」に還るのだ。

 気付けば通りの向かい側で、煙草を咥えてニコニコと笑っている人の姿があった。綺麗に整えられた白髪に白髭。立派なスーツ。うまそうに煙草を燻らせているその人は、先生を見て眩しそうに目を細めている。

「先生のお祖父さんって、何の仕事をしていたんですか?」
「小説家だ。俺と違ってホラー物じゃなかったけどな」
「素敵な紳士だったんでしょうね」
 俺がお祖父さんに向かって頭を下げると、何度も頷きながらお祖父さんは消えてしまった。
 残ったのは深みのある煙草の匂いだけだ。

「腹減ったな。黎人、早く帰るぞ」
「……はい!」

 ほんの少し暗くなり始めた夏の空。
 俺は込み上げてくる嬉しさを噛みしめながら、愛しくて堪らない先生の肩に頬を寄せた。

 

 第8話・終