シュヴァルツ・シュテルン《フォーゲル・ミュート》

 赤──。俺の中にある一番古い記憶は赤、炎の赤だ。

 確かあの時はどこかの組織同士の抗争があって、ヴィルトシュタットの街はそこらじゅうが燃えていた。逃げ惑う人達の中に取り残された俺は、顔も知らない親をぼんやりと探していた気がする。あんなにも騒がしかったのに、どこかの子供の泣き声だけがやけに鮮明に聞こえていた。

「坊主、何してる。逃げろ!」
 突然。クマのように大きな男が立ち尽くしていた俺を抱き上げ、走り出した。そうされてもなおぼんやりしていた俺は、燃え盛り倒壊する家々を眺めながら親を探していた。

「喋れるか。坊主、名前は」
 街なかを抜けて開けた場所まで来た時、男が俺を降ろして煤けた頬を拭ってくれた。遠くの方では炎と煙がまだ猛威を奮っている。
「そうか、フォーゲルか。お前さんの親はどうした」
 その質問に答えられないでいると、男が全てを悟ったような優しい笑みを浮かべて言った。
「もう大丈夫だ。ウチにはお前さんと同じような子が大勢いる。一緒に暮らそう、何も心配いらない」

 それから俺達は手を繋ぎ、遠くで燃える街を見つめた。

「ヴィルトシュタットも運が悪かったな。世話になっていた仕立て屋も、菓子屋も本屋も、全部燃えちまった」
 クマのように大きな体なのに、男の目は濡れていた。

「勿体ねえなあ……良い街だったのに」
 だから俺はその時に強く念じたんだ。

 あの火を消せる水になりたい、と──。

 *

「そういや、未だにアクセルは各所から狙われてるんじゃねえのか。あの屋敷のセキュリティはどうなってたんだ、俺達以外に誰もいなかったけどよ」
 ファルター邸を出た後でゲルハルトが言った。確かにあれだけの豪邸で護衛どころか使用人すら見かけなかったのは不自然だ。アクセルがファルターに保護されたことは知れ渡っているだろうし、彼の母親と同じくファルターだっていつ襲われるか分からない。

「あの屋敷とファルターさんの店には強力な結界が張られてる。アンタ達はファルターさんに『許可』されたから入れただけで、『許可』されていない他の奴らは絶対に入れない。特に邪悪なことを考えてる連中には近寄ることすらできないんだ」
「それはファルターの能力なのか?」
 アクセルがかぶりを振る。
「有名な術師に依頼して作ってもらったんだ。それこそアンタ達に払う報酬と同額くらいの金を出してさ」
「へえぇ、さすが金持ちはやることが違うねえ」

 ファルターから移動用にと用意してもらったバイクにまたがると、アクセルがやって来て耳打ちした。
「フォーゲルだっけ。俺、できればアンタの後ろに乗せてもらいたいんだけど」
 用意されたバイクは二台。ファルターのアクセルに対する過保護ぶりを考えれば、アクセルがライセンスを持っていないことは明白だ。

「構わないが、ゲルハルトの方が運転は上手いと思うぞ」
「アイツはどうにも信用ならない」
 やはり屋敷で二人が別室へ消えた時、何かよからぬ事が起きたのだろうか。断る理由もないので承諾すると、
「何だあ、亜人のお坊ちゃまはバイクも運転できねえのか」
 人の神経を逆撫ですることに関してはピカイチのゲルハルトが、ニタニタと笑いながらアクセルを煽った。
「ば、馬鹿にすんな! 運転くらいできる」
「そんじゃ、コッチ乗ってけよ。俺はケツに回るから運転してけ」
「やめとけよゲルハルト。アクセル、お前は俺の後ろでいい」
「だから、馬鹿にすんなっての!」

 顔を赤くさせたアクセルがゲルハルトの方へと大股で歩いて行く。くだらないことで怒るのはゲルハルトもそうだが、アクセルも大概だ。ゲルハルトだけでも手を焼くのに、もう一人子供が増えたみたいで先が思いやられる。
「既に魔力は込めておいた。グリップを回せば走るぞ、俺のゴーグル貸してやる」
 ゲルハルトが常日頃から頭に付けているバイク用ゴーグルをアクセルが装着し、怖々といった様子でシートに跨った。

 獄界のバイクはタイヤのないエア・タイプが主流だが、ファルターのように昔を知る者は古きよき二輪タイプを好む傾向がある。俺もデザイン的にタイヤがあるバイクの方が好きだった。地面で安定させることができるので、初心者にもお勧めだ。
「ここを回せば走るんだな、簡単じゃん」
「いきなり回しすぎるなよ。始めはゆっくりだ、少しずつ」
 ハンドル部分を覗き込みながら後部席のゲルハルトが助言する。アクセルが言われた通りにグリップを回すと、ゲルハルトの魔力を受けたバイクの周りに細かな火花が散り始めた。
「な、何だこれ。バチバチいってる、感電するんじゃないのか?」
「大丈夫だから気にすんな、取り敢えずフォーゲルが先導するからそれに付いて行け」
 確かに、復讐なんて物騒なことを実行するならバイクくらいは乗れるようになった方が良いだろう。ゲルハルトもそう思ったからこそ、アクセルにハンドルを任せたのかもしれない。

「お、走った……面白れぇかも……」
「そうだ、ゆっくりでいい」
 足で走った方が早そうなスピードだが、ゲルハルトの魔力付きとはいえ初めてにしてはセンスがある。
「このバチバチ、気が散るなぁ」
 その火花の正体こそがゲルハルトの魔力だ。俺は水を操るが、ゲルハルトは電気を操る──魔力だけで見れば俺達は相性が悪く、発動させたそれを解除し忘れてうっかり感電なんて経験もあった。

「しかし、あのオッサンがよく許したよな。今まで結界の中に閉じ込めてた大事な息子を俺達のアパートまで同行させるなんて」
 受けた依頼を実行するのに部外者のアクセルが参加するのは本当なら気が進まないが、彼はどうしても自分の手で復讐したいのだと言う。そこだけは引けないと言うので仕方なく承諾したが、本当に危険だと判断したら彼が何と言おうといつでも屋敷に戻すつもりだった。
 しかし、準備が必要なためにどのみち一度アパートへ戻ると言った俺達にアクセルが付いてくることになったのは予想外だった。しかも一緒に行くよう言ったのはファルターなのだ。依頼を受けた時点でアクセルを含めた三人チームになったとかで、彼の両親を殺した輩を突き止めるのと同時にアクセルの護衛もすることとなった。

「でもよぉ、あの結界の中にいた方が安全だったんじゃねえか? オッサンの許可がないと誰も入って来れねえんだろ」
 とろとろと走るバイクの後ろでゲルハルトがあくびをして言った。
「ファルターさんだって四六時中俺に構ってばかりもいられないんだ。本当なら仕事で忙しい人だし。俺だって結界の外に出るのは初めてだから不安もあるけど、……」
「は? お前、普段は何やって過ごしてたんだよ」
「屋敷にずっといたよ。昨日、ファルターさんのクラブに行ったのが保護されてから初めての外出だった。それも道中は専属の術師がずっと付きっきりで俺の姿を隠してくれてて」
「ちょっと待てアクセル。それならお前は今、初めて、結界なしで外にいるってことか?」
 ゲルハルトが俺の顔を見る。考えていることは恐らく俺と同じだろう。
「……そんじゃ、虎視眈々とお前を狙ってた連中にとっては今が絶好のチャンスって訳で、……」
 ゲルハルトが言った瞬間、俺達の背後でバカでかいいくつもの轟音が鳴り響いた。……嫌な予感が当たっていれば、振り返らずとも音の正体が何なのかは明白だ。

「ふざ、けんなっ……! 何だあのオッサン、説明もしねえで!」
 俺達の後ろに迫って来ているのは派手な色の頭をした連中だった。魔人と亜人の混合チームで、確か、コルネリオの下っ端が管理している集団だったと思う。チーム・シャッテン──年中エア・バイクを乗り回して遊んでいるチンピラ予備軍だ。
 金で雇われたのだろう。まずは様子見といったところか。
「アクセル、飛ばせ!」
 俺が叫ぶと、反射的にアクセルがグリップを強く回してバイクを加速させた。地面を削る勢いでタイヤが回転し、ゲルハルトの火花がバチバチと音をたてている。
「追い付かれんじゃねえぞアクセルちゃん、そのまま飛ばせ! 飛ばせ、飛ばせ!」
「かっ、かんたんに、いうけどさぁ!」
 突然の事態だがゲルハルトは楽しそうだ。
 俺はスーツの内ポケットに忍ばせているゲヴィッターを抜き、背後に向けて片手で構えた。