第1日目の災難 -3-

「呆れた人っすね……」
「だって気付いたら寝てたんだよ。もしかしたら途中で気絶したのかもしんない」
「先輩、体力ないくせに張り切りすぎなんですよ」
「うるさいな」
 何の話かはよく分からないが、どことなく卑猥な匂いがする。俺は大河の隣で縮こまり、見るともなく目の前のマンションを見上げた。

「でもだからって、延長料金もらって来たんでしょうね」
「もらったよ、60を90に変更してもらった」
「その時点で連絡を入れてください。そのくらいの常識、先輩だって分かってるでしょ」
「分かってるよ。既に散々怒られたんだから、大河まで怒らないで」
「あの……俺はここで。大河さん、本当にありがとうございました」
 黙っていれば延々と妙な話を聞かされると思って、俺は足早にその場を離れた。
「今の、誰? ウチの新人?」
「さあ。誰かを訪ねて来たらしいですけど」
 背後で二人の声が聞こえて恥ずかしくなり、逃げるようにしてエレベーターの中へと飛び込む。恐らくあの二人はホストなどではない。……本当に都会は怖い所だ。

 ともあれ目的地に辿り着くことはできた。
 都ノ町アクアレジデンス。
 ここに、今日から俺が世話になる男が住んでいる。殆ど無一文で地元を飛び出した俺に電話の向こうで「是非会って話したい」と言ってくれた、人材派遣会社の代表取締役という何とも知的な仕事をしている男、佐倉さくらハルトが住んでいる。

(電話では確か、404号室と言ってたっけ……)
 静まり返った廊下を進んで404号室の前に立ち、深呼吸をした後で呼び鈴に指を乗せると、ややあってインターホンから「開いてるよ」と応対の声があった。
 ゆっくりとドアを開き、中の様子を伺う。薄暗い玄関は廊下と同様ひんやりしていた。

「お邪魔します」
 リビングに入ったところで荷物を置き、部屋の中を見回す。綺麗に片付いてはいるものの、物が少なくてあまり生活感の感じられない部屋だった。大型の家具は冷蔵庫、テレビ、ローテーブルだけだ。いかにも男の一人暮らしといった面白味のない部屋だが、そのシンプルさは嫌いではない。
「こっちだ、こっち」
 リビング奥のドア。その向こう側から声がして、俺はふらふらとそちらへ向かった。少なからず緊張している。これから仕事の世話になるのだ。一体、どんな男なのだろう。

「こんばんは」
 ドアを開けて中を覗くと、入口に背を向けてパソコンのキーボードを叩いている男がいた。こちらも、ベッドとパソコンがあるだけの簡素な部屋だ。
「……初めまして」
「ああ、初めまして」
 恐らく佐倉ハルトと思われる男が椅子を回転させ、体ごと俺に向き直る。
「あ、……」
 一瞬、言葉に詰まった。次に驚き、自分の目を疑った。
 何故なら、目の前に現れた「代表取締役」が想像していたよりもずっと若く──それでいてなかなかの男前だったからだ。