陽太の一歩 -8-

「言ってみろ。お前が欲しい物だ」
 欲しい物。そんなの、数え切れないほどある。
 十代の俺が欲しくて欲しくて仕方がなかった、だけど絶対に手に入れられなかった物。同級生が当たり前のように持っていたゲーム機。パソコン。流行りの服とアクセサリー。バイトのためにスマホだけは持っていたけれど、これももう何年も使っている古い機種だ。

 いくらメンズエステで良い給料を貰っていても、どんなに指名を受けても、蒸発した親父の借金の返済で殆ど手元には残らなかった。俺は子供の頃から二十歳を目の前にした今でも、自分の物なんて自由に買えないのだ。

「どうした?」
「あ、……お、俺は……俺が欲しいのは」
「ああ」
 この男なら何でも買える。俺が欲しかった物なんて、たった一日で全て揃えられる。
「本当に……何でもいいんですか?」
「もちろんだ。陽太が望む物は全て手に入れてやるぞ」
「買い物に行く前に、飛凰様。……一つお願いがあります」

 ゲーム機。パソコン。流行りの服とアクセサリー。──違う。そんな物よりもっともっと欲しかった物がある。

「今夜、俺と二人きりで夕食を食べて頂けませんか?」
「ああ、いいぞ。ここに持ってこさせよう」
「白いご飯がいいんです。素っ気ない、白飯が」
「ああ分かった。景虎に言っておく」
 俺は膝の上で拳を握り、真っ赤になって呟いた。
「俺は……その白いご飯にかける、ふりかけが欲しいんです」
「ふりかけ? 色々な味の、あれか。構わないが何故そんな物を……」

 小学校と中学の九年間、ずっと弁当を隠して食べていた。
 おかずもふりかけもない、ただの白いご飯しか詰まっていない弁当箱。
「………」
 ずっと隠して、惨めで、だけど俺以上に食べていない母さんには何も言えなくて……

「陽太」
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていい。……泣く必要もない」
 理由を聞くことなく、ただ優しく俺を抱きしめる飛凰。
 こんな風に誰かに抱きしめてもらったの、母さん以外で初めてだ。

 翌々日──
「あ、いたいた陽太さん!」
「あれ、霙さん。どうしたんですか。珍しくご機嫌ですね」
 庭の池を見ていたらふいに霙がやってきて、俺の隣に屈んだ。
「これ、飛凰様にお返ししておいて下さい。もう必要ないから」
「これは……」
 霙が俺の手のひらに落としたのは、あの日霙自身が飛凰に渡されていた金のネックレスだ。

「必要ないってどういうことですか?」
「ふふ。旦那様が、じきに楽園に遊びに来るんです。本物の飛龍様がいらっしゃるなら、俺には飛龍様の代わりの品は必要ないですから」
 お役御免、そういうことか。

「わざわざ俺に託したのは? 霙さんから飛凰様に返せばいいのに」
「少しでも陽太さんと飛凰様の仲が近付けばと思って、気を利かせたんですよ。……でも、そのネックレスは飛凰様にとっては沢山あるうちの一つですから。失くなっても特に気にはなさらないでしょうね」
「………」
 この男──霙。一番目立たないと思ってたのに、金魚の中で一番腹黒いじゃないか。
 要は、俺にこのネックレスを盗んじゃえばと促しているのだ。

「分かりました。責任持って飛凰様にお返ししておきます」
 立ち上がって池を離れた俺は、手のひらのネックレスを見つめて飛凰の言葉を思い返した。

 ──前に親父から贈られたものだ。

 確かに失くしても、飛凰は怒らないだろう。俺のことも、霙のことも。例え俺が盗んで売ったとしても、飛凰なら「言ってくれればあげたのに」的なことを言いそうだ。
 飛凰はそういう奴だ。

「陽太、ここにいたのか」
「飛凰様──」
「庭の散策か? 良ければ俺が案内するぞ」
 この屈託のない笑顔には、汚い大人のような裏がないと信じたい。
「飛凰様、霙さんからネックレスをお預かりして来ました」
「おお」

 多分だけど俺が男に惚れるとしたら、きっとそういう部分が重要になってくるだろうから。