勇星の過去と祈りの歌 -3-

「カルロッ!」
 アパートで勇星が見たのは、床に倒れた親友だった。体をくの字に曲げて腹に何かを抱えている。頭からは夥しい量の血が流れていた。
「カルロ! ……カルロ!」
「勇星……」
 駆け寄り、その肩に触れる。意識があるのにホッとして、勇星はすぐに救急車を呼んだ。

「ごめんよ、勇星……。奴ら、勇星の楽譜の原本を、全部破棄するって……」
 見ればカルロは勇星の楽譜ノートを抱えていた。挟んでいた他の楽譜は散らばり、カルロの周りに散乱していた。
「奴ら、勇星の才能に嫉妬してた。僕が勇星を信じてたのと同じで、奴らも……勇星が選ばれるって、思ってたんだと思う。アジア人のくせに気に食わないって。これはただの腹いせで、ただの嫌がらせだって……馬鹿だよね」
 カルロは力無く笑っていた。やがてやってきた救急隊員により病院へ運ばれ、……その日の夜に息を引き取った。

 親友の死は事故扱いとなった。頭の傷は机の角で打ったものであり、また楽譜が散乱していたことから足を滑らせたという見解だった。ずさんな捜査で、カルロの死は地元新聞にすら載らなかった。
 勇星も事情聴取を受けたが、何を言っても例の金持ち息子が零した言葉の件は取り合ってもらえなかった。その息子の父親が警察に根回しをしていたと気付いたのは、だいぶ後になってからだ。

 意識を失くす直前に、カルロが言っていた。
「勇星の『Genesi』、天国で聴けるのを楽しみにしてるよ」──。

 カルロが何をされたのかは分からない。だけどきっと、本当に怖かっただろうと思う。優しいカルロはそれまで喧嘩の一つもしたことがなく、ただ神と音楽を愛して生きていた。自分のせいで巻き込まれた。楽譜を抱いたまま出血したカルロを見て曲者が逃げ出したのか、それとも曲者が去った後で楽譜をその胸に抱いたのか。今となっては分からないが、とにかくカルロは勇星の楽譜ノートを抱きしめ、最後まで守り通したのだ。

「………」

 自分のせいで友人が殺された。守れなかった。気付くことすら出来なかった。音大生が夜道で襲撃された事件を知っていたのに。カルロから気を付けてと言われていたのに。
 勇星はカルロの血が付着したノートを開き、そこにあったペンを握って書きなぐった。

『INCOMPETENZA!!』

 無能者。馬鹿野郎。クズ野郎。この世の何よりも自身を呪った。涙を流し、何度も何度もカルロに謝罪した。何度謝っても気は晴れなかった。自分が許せなかった。

 そして勇星はそれ以来、二度と指揮棒を取らないと決めた。イタリアに来て一年目の、春の出来事だった。