個人レッスンと即興の『Genesi』 -3-

「………」
 勇ましいのに流れるような美しさがあり、神々しさの裏側に安らぎの音が潜む「天地創造」。天と地、太陽と月に、海と陸、動物と植物。最後に人間。
 次々と勇星の旋律で作り出されて行く世界は色とりどりで美しく、輝き、光溢れていた。そして俺は初めて『Genesi』の生演奏を聴いていることに気付く。
 勇星が二十歳の頃に作ったピアノ曲『Genesi』。

 ──本当に大好きだ、この曲。

「歌えよ、作詞者の音弥くん」
「い、嫌だよ。完全に蛇足でしょ」
 にやりと笑って、勇星がそのまま演奏を続ける。

 そう言えば、『Genesi』は今も未完のままなのだろうか。無断で覗き見てしまったあの夜以降、俺は勇星の楽譜を見ていない。新曲を書いているのは知っているけれど、俺としては新曲よりも『Genesi』の方が気になっていた。

「っ……!」
 勇星の指が鍵盤の上を滑る。それは目にも止まらないほどの速さで、まるで機械のようだった。俺の知らない部分──『Genesi』の続きだ。
 猛スピードで動く十本の指の下、白鍵と黒鍵が踊るように勇星の意思に応える。ピアノが壊れてしまうのではと思うほどの力強さはきっと、嵐や雷さえも操る神の業だ。俺の心臓も激しく脈打ち、会衆席から立ち上がることすらできない。

 荒れ狂う海と稲光、息ができなくて目も開けていられないのに、何故か上り詰めて行く感覚だけがある──
「………」
「やめた」
「……えっ?」

 唐突に勇星が演奏を止め、手首を捻りながら「痛てえ」と溜息をついた。
「全然駄目だ。手が痛くなっただけのクソ展開」
「ど、どういうこと? 今の曲って、『Genesi』だったんだろ。続きを作ったんじゃ──」
「途中からは適当に即興で弾いた。イメージが全然合わなかっただろ」
 俺は何も言えず黙り込んだ。確かに美しく勇ましい天地創造のイメージから、急に大戦や災いみたいな激しいイメージになってしまったけれど。……完成したのかと思ったのに。

「ていうか『Genesi』が未完だってこと、音弥くんが何で知ってんだ」
「えっ、……」
 勇星がピアノの蓋を閉め、座ったまま俺に向き直った。
「完成してから見せたかったのによ。好奇心旺盛な小僧め」
「……ごめん。勇星が寝落ちした時、楽譜が開いてて、……」
「いいよ別に、見られたって構わねえモンだ。……結構時間かけて考えてんだけど、良い続きが全然思い浮かばなくてよ。音弥くんが気に入ってくれてた曲だから、絶対完成させようとは思ってんだけどさ」
「勇星……」

『Genesi』の余白に書いてあった「無能」の文字がちらつく。勇星が自分で自分をなじった言葉。何をどうしたら、例え未完であってもあんなに素晴らしい曲を生み出した自分に対して「無能」と感じることがあるのだろう。
 俺には分からないシビアな世界。勇星が指揮者の道を諦めたのも、『Genesi』に関係しているのだろうか。
「………」
 聞きたいけれど聞けなかった。恐らくは今も残っている勇星の傷に、俺から触れるなんて出来る訳がない。
 いつか勇星が話してくれる日が来るなら、俺はそれを待つべきだ。
「完成するの待ってるよ、頼んだよ!」