「なんか疲れた顔してるね。大丈夫?」

 翌日午後一時、出勤した俺に向かって奥田さんが開口一番そう言った。本当にこの人は、俺の心を読むのが上手い。

「そうですか? 別に普通ですよ。……それより奥田さん、詩音に聞いたけど新店出すって本当ですか?」

「そうそう。まだ少し先のことなんだけどね。良かったらその時は、流星くんと詩音くんに手伝ってもらえたらなぁと思って……」

「パスしますよ、俺らは。十代の若い子に声かけてください」

「君らもじゅうぶん若いでしょうに。何か理由あるなら聞いていい?」

「ん。だって移ったら辞めにくくなるし、俺はここの店、気に入ってるから」

「流星くん、辞めないでよぉ」

 情けない声で抱きつかれ、俺は苦笑して奥田さんの肩を押した。

「詩音が続ける限りは辞めないですよ。とにかく俺らは現状維持でお願いします」

「分かった。じゃあ早めに店長にメールしとくよ」

 狭いスタッフルームのデスクに座り、奥田さんがパソコンのメール画面を開いた。

「で、その詩音くんは? 一緒じゃないの?」

「後から来ますよ。コンビニで煙草買ってます」

 俺はパイプ椅子に座ってその辺にあったボーイの店用プロフィールファイルを手に取り、適当に捲りながら翔宇が来るのを待った。

 翔宇の源氏名「詩音」が目にとまり、ページを開いて膝の上に固定する。それは俺と翔宇がこの店に来て間もない頃に作られたプロフだった。

『詩音(シオン) 二十歳 好きなもの・肉料理 嫌いなもの・虫』

 思わず唇の端が緩んだ。

 身長体重、アレのサイズや血液型など当たり障りのないプロフィールの横に、上半身裸で満面の笑みを浮かべた翔宇の写真が貼ってある。その下にはスタッフのコメントが付いていた。

『元気で笑顔が魅力の詩音くん。当店期待の新人です! 一緒にいるだけで恋人気分に浸れる爽やかなトークと、ベッドで見せる大人の顔は一度味わったら癖になるかも』

 Gラッシュでは新人の実技研修は無いはずだ。これを書いたスタッフは、翔宇と試したことがあるのだろうか? ふとそんな疑問が湧いて、俺は急く指で自分のページを開いた。

『クールで癒し系の流星くんは、当店でも一、二を争う人気者。プレイ中も優しくリードしてくれます。彼に全てを任せて、一緒に甘い時間をお過ごし下さい!』

「うわ……恥ずかしい。俺、クールでも癒し系でもないし……」

 ファイルを閉じて元に戻すと、奥田さんがそれに気付いて苦笑した。

「面接での第一印象と、お客さんからの声をまとめただけだよ」

「あ、これ奥田さんが考えたコメントだったんですか」

「懐かしいね。面接したのいつだっけ? ちょうど一年前くらいかな。ていうか二人とも、ウチの店来てもう一年経つんだね」

「そうですね」

「流星くんは二十歳過ぎたばかりだったよね。店長以外のスタッフにも挨拶してて、すごくしっかりした印象だったの覚えてるよ。最近の子は礼儀知らずの子も多くてさ。面接バックレなんて当たり前だし、初出勤の日に給料前借りさせてくれとか言う子もいたしさ」

 うんざりした顔で奥田さんが言ったその時、ノックも無しに突然スタッフルームのドアが開いた。

「お疲れっす。おっ、流星くんじゃないすか。インして早々流星くんとエンカウントできるなんて、今日は俺、ツイてるんじゃないっすか」

 柴犬のような色の髪を逆立てて目を丸くさせている彼は、最近入店してきたボーイの友哉だった。今時の若者らしい、気だるそうな喋り方だ。

「お疲れ、友哉。ていうか人をレアモンスターみたいに言うなよ」

「だってレアっすよう、流星くんかっちょいいから俺の憧れ」

 言いながら友哉は壁に掛かっている鏡の前に立ち、しきりに髪型を気にしている。そのうちに彼のスマホが鳴り、俺と奥田さんがいるにも関わらずやかましい声で話し始めた。俺より二つ年下の十九歳とはいえ、社会的なマナーが身に付いていないのは考えものだ。仕事中もこの調子だったなら、客からクレームがくる場合もある。

「ていうか流星くん、今度遊んでくださいよう。色々仕事のこと勉強さしてほしいっす。俺まだ緊張しちゃってるし」

 スマホをポケットにしまい、友哉は再び鏡の中の自分を覗き込んだ。

「いいけど、お前は実技よりもまず接客態度の勉強が必要だな」

 奥田さんが無言で頷き、俺に同意した。

「ええ? 俺めっちゃ態度いいですって」

 鏡に向き合ったままこちらを見ようともしない友哉に、俺は音のない溜息をついて煙草を取り出した。

 それにしても、翔宇は何をしているのか。コンビニから店までは徒歩で五分とかからないはずなのに、一向に来る気配がない。