#10

 それから数日後。少しずつ白鷹がいる日常にも慣れてきて、あと一週間足らずで三月になるという、二月二十三日、金曜日。

 今日は一日、俺と白鷹の二人だけで店を回す日だった。大和は不安がっていたが、結局何の問題も起きていない。あとは片付けをして帰るだけだ。

「チカちゃん、そこの雑巾取ってくれる」

「はい」

 新しくなった脚立に乗って、切れかけた電球を替える白鷹。俺はその下でマフラーに口元を埋め、ニット帽を目深に被り、寒さにぎゅっと身を縮こまらせた。閉店後は節約のために、店内のエアコンを切ることが義務付けられているからだ。

「……しかしこっちで働いてみて思ったんだけど。お前と大和、ほんと仲いいよな」

「俺ら、同じ高校だったんで」

 新しい電球がはめられ、スポットライトが眩しく光り始めた。天井からぶら下がったスペースシャトルが、その光に照らされて白く輝いている。

 白鷹が脚立を降りて言った。

「別に仲良しなのは悪いことじゃねえけど、ちょっと気を付けた方がいいぞ」

「何をですか?」

「今後のこと。特に大和、あいつ今は仕事できてても、チカ以外の奴と働くことになったら駄目になるパターンっぽいし」

 具体的に何が言いたいのか分からなくて、俺は白鷹の顔をじっと見据えた。

「色々考えてるって言ったろ。今後、新店舗出すかもしれねえからさ」

「………」

「その時は、チカに副店長やってもらえたらいいなって思ってんの」

「えっ……」

 思いがけないその言葉に、俺は一瞬固まった。

 俺が新店舗の副店長。一体誰の下で働くことになるんだろう。だけどそうなったらGヘブンを離れる──即ち、大和と仕事ができなくなるということか。

 いや、それよりも。

 もし本当にそんなことになったら、大和の夢がまた遠ざかってしまうじゃないか。

「俺、まだ二十歳ですよ。上に立つ器じゃないし、人見知りするし、決断力もないです」

「年齢なんて二十歳越えてりゃ充分だ。それに、人見知りもすぐ直るって。決断力だってこれから鍛えればどうにでもなるだろ、そんなの」

「いや、俺には自信ないです……できません」

「まあまあ、まだずっと先のことだし、出すかどうかも分からねえしさ。良い経験になればいいやって、前向きに考えといてくれればってだけの話だから」

「………」

 もういっそ、俺から何もかも白鷹に打ち明けてしまおうか。大和は怒るだろうが、このまま隠し続けていても何の意味もないように思える。

「白鷹さん、あの……」

「ん? ああ、そうだチカ。その古い電球、箱に入れてどっか裏に置いといてくれ。まだ熱いから気を付けろよ」

「は、はい」

「あとは……そうだ、店頭の電球も付け替えねえと。面倒だけど業者に頼むのは勿体ねえし。ああ、面倒臭せえなぁ」

 ──大和、新店のこと知ったら何て言うだろう。

「でもやっぱ店頭の電球は明日にするか。チカちゃん待たせるのも申し訳ねえもんな」

「あの、白鷹さん……」

「なに?」

 俺は唇を噛み、ポケットの中に入れた両手を握りしめて白鷹の顔を見た。

「そういう可愛い顔すんなよ。言いたいことあるなら、聞くけど?」

「あの、俺達……。俺と、大和は……」

「知ってるよ、デキてんだろ」

「え──」

「見てて分かる。ていうか、結構前から気付いてた」

 ストンと浅い穴の中に落ちた気がした。あんなに必死に隠そうとしていたのに、白鷹にはとっくにバレていたのか。

「あれだけ大っぴらにアピールしてたら気付かねえ方がおかしいって、大和のアホに言っとけよ」

「………」

 今から言おうとしていたことを、既に相手に知られていたというのは何だか恥ずかしい。俺は頬が赤くなるのを感じながらその場に突っ立って、白鷹の鋭い目を見つめた。

「それで? 付き合ってるから、なに?」

「それで……別に、何がどうという訳でもないですけど……」

「大和と離れたくねえんだろ」

「………」

 思わず俯いた俺に、白鷹が素っ気なく言う。

「いいじゃねえか、同棲してんだし」

「そ、そんなことまでバレてんですか」

「まあ、大和と相談してよく考えといてくれ。俺も取り敢えず色々考えとくからさ」

「はい。……じゃあ、お疲れ様でした」

「……ん」

 店を出ようとした俺の腕が、次の瞬間、急に後方へ引っ張られた。

「え。な、なに……?」

 慌てて背後を振り返る。視線の先には、俺の腕を掴んで不敵に笑う白鷹の姿があった。

「白鷹、さん……?」

「お前さ。大和から何も聞いてねえのか?」

「何を……」

 一瞬の震えは、恐らく寒さによるものだ。俺は白鷹に腕を掴まれたまま、コートのポケットに入れた手を温めるように強く握りしめた。

「お前と大和、同じ高校だったんだろ。実は、俺もなんだわ」

「そうなんですか……」

「大和が一年の時、俺は三年だった。それで、部活も同じ剣道部だった。まぁ俺は滅多に部活には出てなかったけどな」

 どこかで聞いたことのある話だと思ったら、俺と大和のそれと全く同じじゃないか。

 もしかして、この二人は。

「それで当時、俺達付き合ってたんだわ。大和が三年に上がるまで、な」

 頭の中で結論を出すよりも早く白鷹に答えを突き付けられ、俺の体は硬直した。

「別に……付き合うくらい、構わないです。だって今の大和と白鷹さんは、普通に先輩と後輩として接してるでしょ。昔のことに嫉妬するほどガキじゃないですから、俺」

 それが精一杯の虚勢だった。内心では衝撃が強すぎて、心臓が早鐘を打っている。

 ──聞いていない。大和と白鷹が付き合っていたことなど、ただの一度も。

「それが、そういう問題じゃねえんだよな」

 白鷹の目が妖しくぎらついている。まるで獲物を捕らえる瞬間の狼のような目だ。俺はその目を直視できなくて、思わず白鷹から視線を逸らした。

「今、お前らが住んでるあのアパート」

 しかしどんなに視線を背けたところで、白鷹の声は容赦なく俺の耳に入ってくる。

「あの部屋も、使ってる家具も、家電も。全部、俺が大和のために用意してやったモンなんだよ」

「……当時、あのアパートで一緒に住んでたってことですか」

「まあな。そんで大和と別れた時、それにかかった金を返したいって言われてよ。俺はいいって言ったんだけど、どうしてもって言うからさ。名義も俺から大和に変えて、二年前から少しずつ返してもらってんだ。男らしい奴だろ、あいつ」

 そうだったのか。

 だから大和は、今まで殆ど休み無しで働いていたのか……。

「金だの何だのって返してくれるのはいいんだけど、少しずつ大和が俺から離れてくってのが分かって、なんか寂しい気もするんだよな。それで……これは俺の想像なんだけど。大和、お前連れて別の店持ちたいとか言ってねえか?」

「………」

 俺の沈黙を肯定の証とし、白鷹が続けた。

「完済したら、本格的に動こうとしてるんだろうな。俺への返済とは別で、随分前から金溜めてるみたいだし。あいつアホのくせに、夢だけはいつも一丁前だから」

「白鷹さんは、反対ってことですか」

「いや。逆に嬉しくもあるんだぜ。大和が俺の手を離れて、チカと二人で力を合わせて生きていきたいってことだもんな。あのハナタレの大和が大きくなったモンだって、感慨深いものがあるのも事実。俺としては心から応援したくなるよ」

「じゃあ……結局、何が言いたいんですか」

 すると白鷹が不敵に笑い、上目に俺を見つめて言った。

「彼氏に任せっきりで、お前は何もしねえの?」

「………」

「仕方ねえか、チカちゃんは大和の大事なお姫様だもんな」

 その言葉にムッとなって、俺は顔を上げ、まともに白鷹の目を睨みつけた。だけどそれだけだ。反論なんてできるはずもない。

 事実、俺は何もしようとしていないのだ。それどころか大和が秘かに努力していたことも知らず、心のどこかで「どうせ無理だ」なんてことすら思っていた。

「……俺は……」

 大和は俺のことも考えて動いてくれていたのに。俺は。俺は……。