エピローグ

 翌日、俺と遊隆はどこか照れ臭く思いながらも手を繋いで事務所の扉を開けた。
「おはようございます!」
「おお、遊隆、雪弥。おはよー」
 スタッフ達はいつも通りの笑顔で俺達を迎えてくれる。
「おはよーございます、二人とも!」
「桃陽、おはよ」
「昨日あんだけ飲んでたのに遅刻してねえじゃん。偉いな!」
 遊隆の言葉に桃陽は得意げに笑ってみせ、だけどすぐにうんざりした顔になって言った。
「雀夜に叩き起こされたー。ケツ叩かれて、顔に冷たい水かけられて、無理矢理起こされた」
「うわ……それはキツい」
「桃陽お前、これから毎朝苦労すんぞ……」
「うー。一日目で、もうギブアップしそう」
 項垂れる桃陽を笑っていると、松岡さんが俺達の方に近寄ってきて言った。


「お前ら、昨日はお疲れ。編集し終わったらソッコーで公開するから、次の動画の打ち合わせすんぞ」
「はい!」
 いつもと同じだ。スタッフ達の声、松岡さんの無愛想な顔、桃陽の無邪気な笑顔。
「………」
 だけど、雀夜がいない。彼がここに来ることはたぶん、二度とない──。


「松岡さん。雀夜が引退するって、どうして教えてくれなかったんですか?」
 ソファに腰を下ろしながら俺が問うと、続いて遊隆が口を尖らせた。
「そうっすよ。知ってたらもっと違った展開にしてたのに……」
「雀夜に言われたんだ。教えるなって」
 松岡さんが大したことなさそうに言って、俺達の正面に座って足を組んだ。
「教えてたら遊隆のことだから、雪弥に集中できなくなってただろ」
「……そ、それはそうかもしれないけど、でも……」
 遊隆がふて腐れたような顔をしながら呟いた。


「俺にも教えてくんないとか、……裏切られた気分だ」
「なんだ、遊隆は雀夜に特別扱いしてもらいたかったのか」
 顔を真っ赤にした遊隆が勢い良くかぶりを振る。
「ち、違っ……」
「そうだろ。だから拗ねてんだ」
「………」
 俺が横目で見ると、遊隆は観念したように大きく息をついて項垂れた。


「……まぁ、確かに。だって俺、なんだかんだ言っても雀夜のこと、仕事では尊敬してたし……。俺の初めての相方だったし、ライバルだったし……」
 遊隆の横顔を見つめているうちに、俺もなんだか悲しくなってきてしまった。
「遊隆、雀夜に会えなくなって寂しいんだろ」
「違うって、そういう意味じゃ……」
「俺は寂しいよ。雀夜に会いたい」
「………」
「雀夜に、もっといろんなこと教えてもらいたかった。遊隆のことも、仕事のこともさ。たくさん教えてもらいたかった」
「雪弥……」
 はっきりそう言った俺を見て、遊隆が唇を噛みしめる。
 そして、溜息と共に大きく頷いた。


「ああ分かった、認めるよ。……俺もあいつに……会いてえ」
「遊隆、雪弥」
 松岡さんが俺達に向かって身を乗り出し、怒ったように眉根を寄せた。
「お前ら、何か勘違いしてんじゃねえのか」
「え?」
「……後ろ、見てみろ」
「は……?」
 俺達は同時に背後を振り返った。


 スタッフ達が苦笑している。桃陽がニヤニヤして、人差し指を立たせている。まさか、まさか……。
 桃陽が指した方向──外のベランダに、雀夜がいた。煙草を咥えて、いつものつまらなそうな顔で──。


「雀夜ぁっ?」
 思わず叫んだ俺の隣で、遊隆は硬直している。冷や汗がダラダラだ。思いっ切り恥ずかしい台詞を吐いた自分を、心から呪っている顔だ。
 ガラス戸を開けて、雀夜が入ってきた。
「……なんだ、お前ら。何見てんだよ」
 俺達の会話は聞こえていなかったのだろう。雀夜は周りのスタッフ達の意味ありげな笑みに首を傾げて、俺達の方に近付いてくる。
「雀夜……」
「お、ユキヤ。打ち合わせか?」
「う、うん……。でもどうして……」
「雀夜は、モデル〝は〟引退した」
 松岡さんが足を組み直し、遊隆に向かって意地悪く言った。
「で、俺が『制作側』にスカウトした」
「っ……!」
「そうだったんですか。なんだ、もう……驚かせないで下さ……」
「うがあぁぁっ!」
 遊隆がついに爆発した。


「雀夜てめぇ、いっつもいっつも説明が足りなさすぎんだよっ! どうせてめぇのことだから、俺の反応見て馬鹿にして楽しんでたんだろっ! ぶっ殺してやる、この馬鹿!」
「ゆ、遊隆……」
 勢い良くソファから立ち上がった遊隆が、雀夜の胸倉を掴んだ。見ていて恥ずかしくなるほどに赤面している。
「なんだお前。なに怒ってんだ?」
「雀夜がいなくて寂しかったんだってよ。抱きしめてやれ」
「ちげぇーってば!」
「なんだ、そうか。幸城に聞いてなかったのか?」
「聞いてねぇー!」
「よしよし、大丈夫だ。俺はここにいるぞ」
 雀夜が馬鹿にしたように笑いながら、遊隆の背中をポンポンと撫でる。
「う、うるせえぇっ!」
 部屋中にスタッフの笑い声が響いた。桃陽も腹を抱えて笑っている。松岡さんも嬉しそうに目を細めている。
 俺も笑った。心から笑った。
 嬉しくて、安堵して、これから先が楽しみで、声が枯れるほど笑った。

 

 東京ナイトイーグル・終