初出勤 -6-

 部屋に戻ると、雀夜と桃陽の撮影は終わっていた。二人はシャワーを浴びたばかりらしく、白いバスローブを着てぐったりとソファに寝そべっている。
「遊隆、ちょっと」
 俺達に気付いた雀夜が上体を起こし、遊隆を呼んだ。黙ったまま、遊隆がソファの方へ歩いて行く。
「雪弥ぁ、ID教えて」
 所在無げに立ち尽くす俺に声をかけてくれたのは桃陽だ。にこやかに笑っているが、さっき見たばかりのあの表情がちらついてどうも変な気分になってしまう。


 俺は桃陽とベランダに出て、スマホ画面にQRコードを表示させた。
「きたきた。ええと……ユキ、ヤ。っと。雪弥って本名?」
「そうだよ。桃陽は?」
「俺はね、本名は玲司だよ。でももう長いことその名前では呼ばれてないな」
 咥え煙草で、桃陽がスマホを操作している。身長は俺と殆ど同じなのに、顔の作りは俺よりずっと幼く見えた。それでいて「男慣れ」している──どちらかと言うと、俗に言う小悪魔的な雰囲気。


「桃陽は、この仕事長いの?」
「ん。えっと、全然長くないよ。三ヵ月も経ってない」
「その前は普通の仕事してた?」
「都内で売り専してたよ。たまたまここのスタッフがお客さんで来て、その時スカウトされてさ。桃陽って源氏名も売り専の時からずっと同じ」
 確かに、不特定多数の男を相手にする風俗業よりかは一人の男とだけ絡むこの仕事の方が楽だろう。
 だが、ふと気付いた。雀夜が遊隆と組んでいた時、桃陽は一体誰と組んでいたのか。さっきの遊隆の気まずそうな顔を思い出すと、簡単に訊いて良いものかと迷ってしまう。


 他愛の無い会話を続けながら、迷った挙句、結局俺は桃陽にその質問をした。
「ああ、それね」
 桃陽がクスクス笑いだした。
「俺は特殊な立場で入ったからさ。誰とでも雰囲気作れるから、しばらくは複数プレイとかレイプ系とかのキワモノ路線で行く予定だったんだ」
「……大変そうだな」
「ん。でも俺は全然気にしてなかったよ、エッチするの好きだし。学生の時もビッチ状態だったから同学年と上級生のほとんどの奴とヤッたと思う。男子校だったけど、先生とも付き合ったことあるよ。フラれたけど」
 恥ずかしげもなく語る桃陽に、俺は唖然としてしまう。俺自身、相当エロい奴だという自負はあったが、桃陽はそれよりももっと上を行っていた。レベルが違う。そう思った。

 桃陽が長い睫毛を伏せ、紫煙を吐きながら続けた。
「遊隆と雀夜が切り離されて、まさか俺が雀夜に選ばれると思ってなかったから驚いちゃったよ。雀夜も俺と同じでかなり特殊な奴だからさ、心のどっかで憧れてたんだよね。実を言うと昨日、ドキドキして眠れなかったんだ」
「だから寝坊して、遅刻したのか」
「当たり! それで怒られてんだから、馬鹿だよね」
 俺達は顔を見合わせて笑った。


 部屋の中では、その雀夜と遊隆がソファに座って何やら話をしている。二人の横顔はひどく真剣なものだった。
「何話してるのかな」
 独り言のつもりで呟くと、桃陽が煙草を灰皿で揉み消しながら言った。
「アドバイスしてんだよ。何だかんだで、遊隆のこと一番よく知ってんのは雀夜だからね」
「……仲が悪いって訳じゃないんだ?」
「俺はよく分からないけど。少なくとも、雀夜はね」
 心なしか頬を染め、桃陽が勿体ぶった口調で言った。
「雀夜は人からは嫌われやすいけど、自分から人を嫌う奴じゃないんだ。自分は他のモデルから文句言われても、雀夜は誰の悪口も言わないんだよ。意外でしょ」
 それって単に他人に興味がないだけなのでは、と思ったが、桃陽の嬉しそうな顔を見ていると何も言えなくなった。


「でも、自分が気に入った相手には積極的に接してくるから単純で分かりやすい奴なんだけどね。雪弥のことは見定めてる最中じゃないかな」
「……俺、初対面でチビとか中学生とか言われたけど」
「あはは。それは雀夜なりのコミュニケーションなんだよ。俺もよく言われる」
 もしそれが本当だとしたら、結構きつく言い返してしまったかもしれない。いや、それよりも……
「桃陽は、雀夜のことが好きなのか?」
 単純な疑問をそのまま口にすると、途端に桃陽の顔が真っ赤になった。きつく目をつぶり、両手でベランダの手すりをバンバンと叩きながら、……
「もう好き好き好き好き好き! めっちゃ好き、奴隷になりたいくらい好き!」
「はぁ……どの辺が?」
「見た目も好きだし冷たいのも良いしセックスも最強だし、怖いけど優しくてケダモノでクールで意地悪で真面目なとこも全部!」
「………」
 照れ臭そうに笑う桃陽の表情は、まるで恋する乙女そのものだった。世の中、凄い奴がいたものだ。

 それから部屋の中に戻った俺は、遊隆に呼ばれてソファに腰を下ろした。俺と入れ違いに雀夜が立ち上がり、着替えのために隣の部屋へ入って行く。
「じゃ、ちょっと簡単に話そうか」
 松岡さんが俺達の正面に椅子を用意して座った。
「雪弥は本番の経験がないって、遊隆から聞いたけど」
「えっ、あ、そうです……はい」
「そうか。仕事では本番やってもらうと思うけど、できるか?」
 俺は膝の上で両手をきつく握った。心の中で「遊隆となら」と前置きをして、言う。


「できます、大丈夫です!」
「おっけ。まぁ遊隆は慣れてるから、初めてでも心配ないと思っていい」
「そうなんですか」
 ちらりと横目で見ると、遊隆は苦笑して頭をかいていた。
 松岡さんがノートを捲りながら言う。
「で、どういうふうに進めるかって話だけど──基本的に俺は、雪弥のデビュー作だから最初はごく普通のシチュエーションで撮った方がいいと思ってる。下手に役作りするといつまでもその印象が残っちまうからな」
 なるほど。確かに初めは特殊な物より無難な物の方が、大勢の人に見てもらえるかもしれない。


「お前らはどう思う」
「俺は、よく分からないんで……取り敢えずは普通でいいと思いますが」
「遊隆は?」
「うーん。俺も基本的には賛成。ただ雪弥の初本番ってのを考えると、ちょっと特殊な……っていうか、俺が主導権握れるような状況がいいかなって」
「例えば?」
「例えば、うん。俺が学校の先輩で、雪弥を力技でねじ伏せるとか!」
「遊隆、俺に制服着せたいだけだろ」
「だって似合ってたからさ」
「馬鹿か」


 俺達のやりとりを見て、松岡さんが腕組みをしながら頷いた。
「確かに雪弥は学生っぽいのが合ってるかもな。よし、それでいこう」
「えっ!」
「撮影は三日後だ。それまで遊隆、雪弥に手ぇ出すなよ。初物の価値が無くなるからな」
「分かってますって」
「そんじゃ、雪弥はあがっていいぞ。遊隆は一服したら写真撮影。五分後に開始だ」
 言うなり松岡さんは立ち上がってどこかへ行ってしまい、俺は遊隆に縋るように言った。
「なんか、どんどん事が進んでって不安なんだけど。俺、大丈夫かな」
「大丈夫だって。今日はもう帰っていいみたいだけど、どうする? スタッフに言えばタクシー代もらえるぞ」
「住所分かんない。遊隆と一緒に帰る」
 俯いた俺の頭を遊隆が撫でてくれた。
「隣の休憩室で待っててくれ。俺も終わったらすぐ行く」
「うん……」