偉音という男

 思った通り、そこは俺の性に合わない空間だった。
 ブラックライト、フラッシュライト。楽譜で表せないような爆音の音楽に、ひしめき合う人、人、人だ。

「宇咲、何か飲むか?」
「き、聞こえない!」
「何か、飲むか! カクテル! ビール!」

 耳をつんざくほどの音楽に混じって、蓮司の声がかろうじて聞こえる。ここで迷子になったら悲惨だろうなと、俺はぴったり蓮司の隣についていた。

 クラブと言っても今夜連れてきてもらった場所は一般的なそれではなく、男が男を大っぴらにナンパできるようになっている場所だった。男同士のカップルも多く、中には人目を憚らず抱き合ったりキスをしたりしている連中もいた。

 女がいない訳ではないが、ここに出会いを求めて来ている女はいない。大抵はゲイの男友達と一緒にいたり、誰にも邪魔されず踊りに来ている硬派な女ばかりだ。

 ハコ自体は狭いが一階と二階に分かれていて、一階はダンスフロア、二階はラウンジになっているらしい。
 ともかく音楽がうるさいし、暗くて少し先にいる人間の顔もよく見えない。俺は蓮司にもらったカクテルのグラスに視線を落とし、ブラックライトに照らされて妙な色になっている液体をほんの少しだけ口に含んだ。

「どうだよ、楽しんでる?」
 蓮司が俺の耳に唇を近付ける。俺は顔を顰め、首を横に振ってから蓮司の耳に叫び返した。
「重低音で心臓が痛い。ドキドキしてる」
「それが醍醐味だ。酔っ払えばドキドキも気持ち良くなる」

 瓶のコロナをラッパ飲みして、蓮司が「気持ちいい!」と声を張り上げる。それからもう一度コロナを口に含み、俺の後頭部を押さえて口移しにそれを飲ませてきた。
「んっ、く……! 馬鹿、やめろ!」
 既に酔っているらしい蓮司が、けらけらと笑って俺の尻を撫でる。だから嫌だったんだ、こんな場所に来るなんて。

 アルコールが身体中を這い回り、トランスの重低音が更に脈拍を加速させてゆく。何だか頭がクラクラしてきて、俺は痛む額を手で支えた。

「駄目だ。一度水が飲みたい、蓮司」
「え? 何だって。水なんかねえよ、ここには」
「いいから、蓮司。水!」
「大丈夫か? 分かった、取って来るからここにいろよ」

 蓮司が俺から離れ、人々をかき分けてバーカウンターへと向かう。その後ろ姿が溶けるように見えなくなったところで、俺は改めてフロア内を見渡してみた。

 右に、左に、体を揺らしている人達。抱き合って頬を寄せ合う恋人達。彼らはまるで水槽で踊る熱帯魚、もしくは深海に眠る古代魚のようだ。……そんな彼らを見ているうちに、俺の体もいつしかゆっくりと揺れていた。

 ぼんやりと音楽に合わせて体を揺らしているうちに、段々と心地好くなってくる。うるさいだけだったはずの音楽が、蓮司に飲まされたコロナのように体の中へと浸透してくる。視界一杯に広がっているのは、幻想的な光と闇の融合体だ。

 極彩色の水槽の中。
 俺は、檻に捕われている奇妙な悪魔を見た。