第10話 -2-

 鈍い音が室内に響き渡る。灰色の床に鮮血が飛ぶ。
 鼻から血を噴きながらも闇示は嗤っていた。
「殺人鬼がガキの父親になんかなれる訳ねえだろ。甘いこと抜かしてんじゃねえぞ……!」
「黙れッ!」
「あの時もこうやって殴り殺したらしいな! 相手が死んでると分かっていても、延々死体の顔を殴り続けた──お前は狂ってるんだよ、皇牙ッ!」
「黙れ、ッ……!」
 狂気の色をした瞳が苦しそうに歪む。握ったまま動きを止めたその拳は、微かに震えていた。
「……死ね。闇示」
「こう、が……」
 俺は天井を仰ぎ、最後の力を振り絞って声を張り上げた。
「皇牙っ、もうやめろ……やめてくれ! 皇牙っ──!」
「………」
 闇示の上に馬乗りになっていた皇牙の拳が、ゆっくりと、力無く下げられた。
「ク、ソ……!」
 両手で闇示の胸倉を緩く掴み、皇牙が頭を垂れて蹲る──。

「皇牙! ……亜蓮っ!」
 その時、鼓膜の奥で微かにライの声がした。
「亜蓮ーっ!」
「大丈夫、亜蓮っ?」
 ライだけじゃない。ニコラとステラの声もだ。その声に続き皇牙が壊したドアからなだれ込むようにして入ってきたのは、俺がいた世界と変わらない制服を着た警官達だった。
 皇牙の体が数人の警官によって引き剥がされる。
 倒れていた二人の男が部屋の外へ担ぎ出される。
 血交じりの唾を床に吐いた闇示の両手に手錠がかかる。

「………」
 全てが無音のままスローモーションで流れて行く中、俺の霞んだ視界はただ一人……床に膝をついて何かを叫ぶ皇牙だけを捉えていた。

 ……レッド・タランチュラの毒に侵されたせいで、立て続けに亡くなったダチュラのダンサー達。彼ら全員の悲惨な最期を看取ったという皇牙は、自分のクラブに毒を蔓延させた犯人をずっと一人で捜していた。
 ある夜、再びステージ上でダンサーが倒れた。その高揚した顔と、口から溢れる赤みがかった泡は、タランチュラの毒を含み過ぎた時の症状そのものだった。
 皇牙は倒れた彼の最後の言葉を耳にし、長年に渡り毒をばら撒いてきた男の正体をついに突き止めた。それが闇示の部下だった。
 ──奴らが物欲しそうだったからくれてやった。死ぬ寸前まで、奴らも喜んでただろ。
 気付けば皇牙は、駆け付けた警官に取り押さえられるまで男を殴り続けていた。
 傷害致死ではなく殺人罪で起訴された皇牙は三年間服役し、その間にリカルドと離婚した。出てきたのは今から二年前、皇牙が三十歳になったのと同時だったという──。