第9話 天凱の気持ち -4-

 弥代の桜は万年桜 湖面の花びら揺れに揺れ
 どこへ行き付く万年桜 愛しの殿方連れて来る
 さァさ いらしゃんせ
 極楽浄土にゃまだ早い 一晩泊まって下しゃんせ……

「………」
 陽気な三味線と歌声を遠くに聞きながら、俺はじっと畳を見つめていた。
「すまんなぁ。天凱が入れあげてる男遊がどんなものか、ちょっと味見したくなってな」
「……いえ」
 昨日会ったばかりの巳影勇蔵。──まさか、わざわざ俺が寿輪楼にいることを突き止めて来るなんて。
 暑くないのに汗が止まらず、畳から視線を上げることができない。
「そんなに動揺されては俺としても困ってしまうな。笑え、彰星」
「す、すみません……」
 必死に笑顔を作ろうとしても勇蔵さんの目が見られず、ただただ焦ってしまうばかりだ。

 ──巳影様は弥代遊廓を管轄している警察署の署長息子さんだ。くれぐれも粗相のないようにするんだぞ。

 警察という言葉だけで恐ろしいのに、俺にそう言ったお義父さんの不安げな目には若干の期待が混じっていた。もしもこの巳影勇蔵を俺の旦那さんにできたら、何よりも強力な後ろ盾になる。……そうなったらもう怖い物なしだ。弥代遊郭は寿輪楼の天下になるだろう。
 だけど。
 昨日感じた、勇蔵さんの俺を見る目付きや言葉に含まれていた棘が忘れられない。それに万が一この方が俺の旦那になったら、天凱さんは……。

「別に通うつもりはない。今日も忍びで来ただけだから、変な勘違いはするな」
「いっ、いえ……! そんな……」
 ……そうやって心の中を見透かすようなことを言うから、警察と関係のある人は苦手だ。
 畳に手を付いたままぺこぺこと頭を下げる俺を鼻で嗤った勇蔵さんが、立てた片膝に肘をついて言った。
「寝てみな」
「……はい」

 男遊やお女郎が帯を前で結ぶのは、寝屋でお客さんが解きやすいようにするためだ。俺達は普段からこれを義務付けられている──身を売っている者の証として。
「まだ幼いじゃないか。幾つだって?」
「十八、です……」
 布団に仰向けになった俺を、勇蔵さんがその大きな体で覆い隠す。ゆっくりと前帯を解かれながら、俺は頭の中で天凱さんの笑顔を思い浮かべた。
 自分を抱くのが愛しい人でないのなら、それが誰だって同じこと。確か雷童さんが言っていた。だからいちいち悲観せず、淡々とやり過ごすしかないという意味だ。
 だから俺にとって天凱さん以外の男は、容姿や収入関係なく皆同じ。いつものことだ。黙っていても時間は過ぎて、あっという間に朝は来る。

 そう思っていたのに。

「天凱の奴は、お前を身請けすると約束しているのか?」
「え、……」
 急にその名前を出され、俺はハッとして勇蔵さんに視線を向けた。
 身請け──借金を肩代わりして綺麗にした後で、娶ってもらうこと。天凱さんは俺に優しくしてくれているけれど、一度も身請けの話は出ていない。特に気にしたこともなかったが、どうしてだろう。「約束」という言葉を使われると、急に不安になってくる。

「そんなことは、ありませんが……」
「だろうなぁ。あいつは一ノ瀬堂の跡取りだが、十八の男遊の借金を全額払うほどの金は自由にできないだろうし」
「………」
 俺が天凱さんに身請けされることはない、だから甘いことを考えるな──きっとこの人はそう言っている。