第4話 運命の夜 -2-

「天凱さん……寿輪楼のお客さんだったんですね」
「ああ。忙しいから滅多に来れねえんだが、今日は彰星の初見世があると聞いて来たんだ」
「俺のために……?」
「知らねえ仲じゃねえからよ、祝儀も弾んでやったんだぜ。花も贈ったしな」

 始めに俺を買ったあの男がどうなったのかは分からない。番頭の漸治さんが俺の味方になってくれたのは嬉しかったけれど、まだ震えは止まらなかった。

 明かりは点いたままの部屋。敷かれた布団の上にあぐらをかいた、着流し姿の天凱さん。夜着を羽織らせてもらった俺はその正面で正座をし、俯いていた。

「裸で逃げようとするとは、……よほど怖かったんだろ」
「………」
「運が悪かったなぁ、初めての客が乱暴者じゃあ」
 俺に限った話じゃない。男遊もお女郎も皆、この恐怖を歯を食いしばって乗り越えなければならないのに。
 俺は、逃げ出してしまった。

「もう安心していい。俺はお前を怖がらせねえよ。……ほれ、こうして頭撫でると気持ち良いだろ。背中もさすってやろうか?」
「………」
 また泣いてしまった俺に苦笑して、天凱さんが伸ばした両腕で俺を抱きしめてくれた。

「よぉし、よし。もう大丈夫だ。今夜はもう怖いことはねえ。甘いイチゴのケーキを持って来たんだ、食わしてやるからな」
「うう、う……」
 抑えようとしても声が出てしまう。止めようとしても震えてしまう。天凱さんはそんな俺の背中をさすり続け、落ち着くようにと色々な話をしてくれた。

「西洋菓子なんて首都の方じゃ珍しくも何ともねえんだが、この弥代遊廓ではウチの店一軒しかねえんだ。だからか、客入りが途切れなくてよ。親父もお袋もてんやわんやしてるよ」
「………」
「生クリームとか、カスタードとか、食ったことあるか?」
「……ない、です」
「俺も初めて口にした時は、口ん中がとろけて崩れてくかと思った。ありゃあ良いモンだ。他にもチョコレートとか、砂糖で作ったちっこい動物なんかもあってな。それを一つのケーキに飾って行って、最後に親父が名前を付けるんだ。最新作は『弥代しょこら』だってよ。名付けのセンスがねえんだ、親父はさ」
 くっくと笑って、天凱さんが俺の肩を撫でた。

「全部が甘いモンで作られてんだ。そこにイチゴやブドウを乗せることで、その酸味がより甘さを引き立てる。名付けのセンスはねえが、親父の作る菓子は芸術品だ。高く値を付けても客は来るのに、親父は弥代遊廓を支えているお女郎や男遊にこそ食ってほしいからって、値上げする予定は一切ないんだと」