第1話 弥代遊郭 -6-

「どうだ。気持ち良かっただろ」
「……は、……ぁ……」
 気付けば顔が熱く、体には汗までかいていた。気持ち良いかと問われれば多分そうなのだろう。何だか大きなことをやり遂げたような充実感すらあり、俺はうっとりと目を閉じた。
「おい、寝落ちすんじゃねえぞ。てめえが出したモンはちゃんと掃除しておけ。俺の足もな」
「ふわぁい」

 四つん這いになり風雅さんに渡された雑巾で床を拭いていると、突然背後の襖がガラリと開いた。
「ただいま! 見て見て風雅っ、イチゴの髪飾り、すっごい可愛いだろ! 一目惚れして買っちゃった! ──いてぇっ!」
 叫びながら勢いよく飛び込んできた男が、四つん這いになっていた俺の体に足をぶつけて顔面から倒れ込む。
「………」
「だっ、大丈夫ですかっ? すみません、ごめんなさいっ!」
「出オチしてんじゃねえよ、雷童らいどう
「いったあぁ……。何だよ、誰?」

 畳に横面をぶつけた男が身を起こし、頬を摩りながら俺を振り返った。涙に潤んだ大きな目。形の整った鼻。崩れたキモノから覗く肌は白桃のように輝き、──ひまわり色の髪には瑞々しい真っ赤な果実の髪飾りが付いている。
「すみませんでした……」

 風雅さんから雷童と呼ばれた彼が、雑巾を片手に慌てる俺を見てニコリと笑った。
「俺の方こそごめんね。思い切り蹴っちゃったから痛かったでしょ」
「い、いえ俺は……平気です……」
「君、新人くんかな? 名前は? 可愛い顔してるね、男慣れしてない感じが最高」
「え、あ、ちょっと……!」
 ぐいぐいと押し迫ってくる雷童さんに成すすべなく、俺の体が畳の上に倒される。天井を背景にこちらを見下ろす雷童さんの顔は、風雅さんとはまた違う種類の華やかな美しさがあった。

 その西洋風に整った顔を見上げながら、俺はおずおずと質問した。
「あの、えっと……」
「何かな?」
「……お客さん、ですか?」
 瞬間的に噴き出したのは、二人のやり取りをはたから見ていた風雅さんだ。雷童さんの方は俺を組み敷いたまま氷のように固まっている。
「き、気に入ったぜ彰星! お前面白れぇ奴だなっ! がははは!」
「……参ったなぁ。まさかお客さんだと思われるなんて、凄いショック」
 俺の上から身をどかした雷童さんが、頭をかきながら風雅さんの隣にあぐらをかいた。
「あ……」

 そうして俺の視界に、並んで座る二人の美男子という構図が飛び込んでくる。言い知れぬ迫力と美のオーラ、そして今の俺にはまだ具体的には分からないが、本能的に感じる雄の色気。
 まさに屏風画を抜け出し現世に蘇った風神・雷神。俺は目の前の二人に見惚れたまま、何も言葉を発することができない。

「彰星。コイツは雷童、俺の同輩で同じく寿輪楼の男遊だ。……んでもって雷童。コイツは今日からここで働くことになった彰星。しばらくは俺達の元で修行だとさ」
「そっか。昨日お義父さんが新しい子を連れて来るって言ってたっけ。よろしくね彰星。頑張って一人前の男遊になるんだよ」
「は、はい……」

 未だ茫然としながら、俺はこれから迎える弥代遊廓での暮らしに朧げな希望を見出していた。
 売られる前は恐ろしい結果にしかならないと思っていた、今後の人生。一緒の船に乗ってきた子達がどこへ行ったのか探す術はないが、もしかしたら宿屋でヒゲの男が言っていた言葉は本当なのかもしれない。
 ──お前、最高にツイてるなぁ。

 そうして右も左も分からないまま、俺の男遊人生が始まったのだった。

 第1話・終