静かな青の世界へと -5-

「わわ、わ……」
「凄いな。綺麗だな……」
 耳を澄ませば鳴き声さえも聞こえてきそうな距離で、ジンベエザメが俺達の目の前を横切った。

「何て言ってるか聞こえたか?」
「……何も言ってません。……でも、笑ってました」
「そうか、笑ってたか」
「地球の海はクーヘンと違うから、美しい生き物たくさんいないかもしれないって……先生言ってました。でもみんな、こんなに綺麗です……」
「………」
 盗み見たヘルムートの目には涙が溜まっていた。……息が詰まって、俺まで鼻と喉の奥がツンとなる。

「……地球人もこう見えて、海や生き物を守ろうとしている人は大勢いるよ」
「………」
 ヘルムートの手が俺の手を強く握りしめ、周囲の人達の声が遠くなって行く。
 優しい光に包まれた俺達は、まるで深海に二人きりみたいだった。

「とは言え、やっぱりクラゲちゃんが好きなんだな……」
「わっ、千代晴見てください。きらきらのバッジ!」
 お土産エリアでクラゲのバッジを手に取るヘルムート。ミニサイズのぬいぐるみにキーホルダー、マグネット、スリッパと靴下……パンツ。そこにあるだけのクラゲグッズをカゴに入れながら、俺は子供のようにはしゃぐヘルムートを見て苦笑交じりの溜息をついた。

「バッジなんてどこに付けるんだ」
「服とか、リュックに付けられます!」
「このクラゲ型のリュックだって、いつ使うんだよ? お前もう十九歳なんだろ」
「千代晴もお揃いにしますかっ?」
「いや、俺はいいけど」

 このままいけば俺の部屋がクラゲだらけになりそうだ。だけどせっかくのデートだし水を差すのも野暮な気がして、俺はヘルムートの好きにさせることにした。

「千代晴は何も買いませんか?」
「俺はサメがいいかな。スタイリッシュなアオザメとか……この小さいフィギュアでいいや」
 二人して両手いっぱいにお土産の袋を持ち、名残惜しそうなヘルムートの背中を押しながらウォーターエデンを後にする。午後六時、まだまだ外は明るい。
「さよなら……」
「また会いたくなったら来ればいいだろ。そんな今生の別れみたいな顔すんなよ」

 取り敢えず腹が減っているから、せっかくだしどこかで食事をしてからタクシーで帰ろう。これだけ疲れていれば帰宅してシャワーを浴びたらすぐに寝てしまいそうだ。

「千代晴」
 信号待ちをしていたら、ヘルムートが俺を見上げて言った。
「何だ?」
「今日のおれ、地球の海の生き物と初めて心で触れ合えました。大好きなクラゲ達、おれのこと見て励ましてくれてたように感じます。……上手く言えませんけど、凄くしあわせな気持ちでした。……連れてきてくれて感謝です、千代晴」
「………」
 ……ああ。何だかもう、悩んでいたのが馬鹿らしくなってくる。
 俺の葛藤なんて、この純粋な笑顔の前ではあまりにもちっぽけで些細なことで、始めから無意味でしかなかったんだと気付いた瞬間だった。

 ナハトがヘルムートの声真似で言っていた通り、俺が気にしていたのは自分の都合だけだ。責任という言葉を口実に、子供を持つことへの不安を正当化していただけだ。地球歴数年のナハトは一人でも上手く生活しているというのに、二十五年地球で生きてきた俺が宇宙人との共存に何を渋ることがあるだろう。

 ヘルムートと子供のために腹を括れるのは、全宇宙を探しても俺一人だけなんだ。

「なあ」
「はいっ」
 少しずつ確実に、陽は暮れ始めている。薄っすらと出てきた星々の中に、ヘルムートの故郷は見えるだろうか。
「やっぱ飯は後にして、家帰るか」
「どっちでもいいですよ。千代晴について行きます」
 不思議そうに俺を見上げるヘルムート。……まるで学生時代の、初めてできた恋人を誘っている時の気分だ。緊張と胸の高鳴りが半端じゃない。

「それか、どっか部屋泊まるか」
「お泊まり! したいです!」
 信号が青に変わる。
 一度決めた覚悟が消えないうちに、俺は視界に入ったホテル目指して歩き出した。