となりのナハトくん

「ん……」
 目が覚めた時、部屋の中はまだ薄暗かった。

 スマホで確認した時刻は午前三時。もうそろそろ明るくなり始める時間だが、一度覚醒してしまった脳はなかなか眠りに落ちてくれそうにない。

「あ、……」

 微かに聞こえた声に耳が反応し、俺はベッドの上で視線だけを動かした。

「あぁ、ん……」
 この声は、明らかに「あの声」だ。一体こんな時間に誰が……

 ──ヘルムート?

 まさかと思って上半身を起こし、隣の部屋のソファに顔を向ける。ドアが開いたままだからここからソファは丸見えだ──が、ヘルムートは買ったばかりのパジャマを着て、大人しく丸まり寝息をたてていた。

「あっ、だめだめ……もう……」

 ヘルムートが寝ている部屋とは反対の、左側からその声が聞こえてきた。左は壁だ。壁の向こうは隣の102号室、どうやら声は隣室から発されているらしい。
 そういえば空き室だった隣に内見が入っていたと相中さんが言っていた。今日の今日で、もう誰か引っ越してきたんだろうか。

「にゃは、ぁ……もう……、お願い~……」

 ──しかもいきなり女連れ込んでやがる。
「お盛んなこって……」
 俺は眉間にしわを寄せてじっと考え込んでから、恐る恐る壁に左耳をくっつけた。ベッドは壁にぴったりと付けてある。少し体を傾けるだけで、声はよりクリアに聞こえてきた。

「綺麗だぜナハト。もっと自分で広げて見せろ」
「あ、ぁっ……見て、見て、もっと見て……!」
 ──女じゃねえ。この声……両方男だ。

「中まで見てるぜ。物欲しそうに誘いやがって」
「もう欲しい……お尻に入れて、お願い……」

 俺は拳を握って鼻息が荒くなるのを抑え、心臓を高鳴らせながら頬がくっつくくらい壁に耳を押し付けた。

「あぁっ、あ、あひっ……! ぶっとくて硬いの凄い、最高っ……あんっ」
「イく時は自分で扱けよ。オラ、もっとケツ振れ」
「ひぃっ、あ──! しゅご、やばい、ぃ……」

 男という生き物は、喘ぎ声を聞くと自動的に勃起するような体のつくりになっているらしい。エロいからとかそういう単純な理由ではなく、聴覚を刺激するなんたらメガヘルツの「音」がトリガーになり、脳に勃起するよう命令するのだとか、しないとか。

 だから別に、顔も知らない奴が喘いでいるせいで俺が勃起したとしてもそれは不可抗力というものだ。むしろ男として正常ということになる。
「……千代晴?」
「っ……!」
 名前を呼ばれた瞬間、ビクゥッ! と俺の体が痙攣した。
「なっ、何だ……ヘルムートっ?」
 隣の部屋のソファの上で、眠たげな顔のヘルムートが上体を起こして俺を見ている。

「千代晴、起きて何してますか……。眠れませんか」
「い、いや別に何でもねえ」

「ひあぁんっ、だめ、イく、イく、イッちゃうぅ……!」

「………」
 何て間の悪い男だ。

「い、今の声誰ですかっ? 千代晴のベッド、おれの知らない人いますかっ?」
「ちがっ……違げぇよ馬鹿! この声は隣の、102号室の……!」
「むぅ」
「な、何だその距離からの疑いの目はっ。よく見ろ、誰もいねえだろ!」
 ヘルムートがソファから浮き、ひゅるるると俺の方へ飛んでくる。夏掛けを捲ったりベッドの下を覗き込んだり、疑り深い奴だ。

「な、誰もいねえだろ」
「千代晴がおれじゃない人とエッチなことしたらって思うと、悲しくて涙が出ます……」
「しねえっての。そんな暇もねえし、相手もいねえよ」
 泣いてはいないものの鼻をすすりながら、ヘルムートがぎゅっと俺に抱きついてくる。……普通に押し倒し案件だが、俺だって大人だ。子供ができるかもしれないと分かっていて、責任が取れるかも分からないのに安易に手を出すほど馬鹿じゃない。