Careful -3-

 篤人には大学生の恋人がいた。ネットで知り合った相手とのことだが、もう付き合いは二年になるらしい。俺も一度だけ会ったことがある。気弱でどこか頼りない印象だったものの、それが逆に勝気な篤人と似合っていた。
 当然、このことは俺しか知らない。篤人は学校では自分の性癖を頑なに隠し、周囲にそれがバレることを何よりも恐れていた。無理もない話だが。
 だから恐らく俺が同類と知って嬉しかったのだろう。こうして殴られた傷の手当をし、心底から俺を気遣ってくれている。悪い奴じゃない。俺も篤人のことは好きだった。

「なぁ、朔哉が連中の怒りを買ってる理由、分かったんだよ。知りたい?」
「別に」
「あのさぁ、隣駅の女子校のナンバーワン美人の子が、朔哉に惚れてんだって。毎朝同じ電車に乗るらしいんだけど、どの子か分かる?」
「………」
「一度、朔哉に声かけたこともあるらしいんだけど」
「……ああ」
 まだ転校して間もない頃、駅に着いても眠りこけていた俺に「着きましたよ」と声をかけてきた女がいたのは記憶に残っている。顔は思い出せないが、甘ったるい香水の匂いがしたということだけは鮮明に覚えていた。


「ウチの暴れん坊番長、木島がさ。その子をずっと狙ってたんだって。だから朔哉が逆恨みされてんだよ。早い話が嫉妬ってこと」
 昼食のパンを頬張りながら楽しそうに話す篤人。俺は舌打ちし、先日木島に殴られた頬を乱暴に手で拭った。
「クソくだらねえ」
「まあでも、色恋沙汰で朔哉には敵わないって認めてる証拠じゃねえの? 殴ったって、その子がモノになる訳じゃないのになぁ」
 篤人がコーヒー牛乳のストローを咥え、空を仰ぐ。頭上では今日も青空が広がっていた。
「女をモノにするために暴力振るうなら、男が男をモノにする場合はどうすればいいんだろ?」
「もうモノにしてるだろうが、お前は」
「フラれたんだよ。同じサークルで好きな子できたんだって」
「……女か」
「うん。あいつ元々ノンケ寄りのバイだったから。そりゃ、女には敵わないでしょ」
 困ったように笑う篤人を直視できず、俺は地面の一点を見つめていた。


「朔哉は恋人作る気ないの?」
「考えてねえ」
「セックスはしたことある?」
「……ある」
「キスも?」
 立ち入り禁止の屋上には、俺達以外に人の気配はない。
 失恋の弱味につけ込むのも、傷心をたまたま隣にいた男で和らげるのも、同罪だろう。
 俺と篤人はそれを承知の上で、互いに唇を重ねた。
「………」
「悪い。何か急に俺、……」
「謝るくらいならするんじゃねえよ」
「あは。確かに!」
 屈託なく笑う篤人が眩しくて、俺もまた少しだけ笑った。

 ……そんな些細な青春めいた出来事も、奴らにとっては最大の武器となる。
「昼休みに屋上でよぉ、篤人とキスしてただろ」
「………」
「お前らホモだったんだな、気色悪りい。道理で俺の女が誘惑しても興味ねえ訳だ」
「お前の女じゃねえだろ。フカしてんじゃねえぞ、だせえ奴」
 俺の初めての口答えに、一瞬だけ木島の顔が強ばった。が、みるみるうちにその顔が赤みを帯び、今にも爆発しそうな鬼の形相となる。
「うるせえぞてめえは……ぶっ殺されてえのか」
 かろうじてニヤついた表情を保っているが、もはやこの男からは哀れみしか感じない。


 ──しかしどうしたものか。俺は別に構わないが、篤人は自分がゲイであることを知られたくないはずだ。しかもこの性根の腐った男に知られたということは、明日にはクラス中に広まってしまうだろう。


「………」
「黙ってんじゃねえぞ一条。てめえがホモだっていう証拠も撮ってあるんだからな、ばらまいてやってもいいんだぜ。周りに知られたくねえなら、……」
「やれよ雑魚」
 俺は席を立ち、木島の胸倉を掴んで思い切り引き寄せた。
「てめえには散々殴られたからよ。これまでの礼とストレス解消にケツ掘らせてもらうけど構わねえよな」
「な、ふざけ、……」
「お前みてえなクソヤンキーをレイプする動画って、割と需要あるんだわ。稼いだら売上分けてやるよ。金持ってりゃ少しは女も寄ってくんだろ」
 今まで抵抗しなかっただけで、出来なかった訳ではない。弱い者ばかりを相手に喧嘩無敗を誇るガキ相手に腕力で負ける気など毛頭なかった。


 木島の口元がいやらしく歪む。
「いいのかよ、そんなこと言ってよ」
「………」
「お前、今頃篤人が屋上でどんな目に遭わされてるか、知ってんのかよ?」
「っ、……クソが……!」
 俺は木島を突き飛ばし、弾かれたようにして放課後の教室を出た。
「遅っせぇよバーカ! ざまあみろクソガキ!」
 篤人──。

 あの日、ムカつく程に青い空の下で篤人は泣いていた。
 必死の抵抗も三人がかりで押さえ込まれ、髪を掴まれ無理矢理に口を開かれ、破かれた制服から見える肌には傷が付き、まだ何も知らないはずのそこには男の下衆な欲望をねじ込まれていた。
 それを見た俺が何をどうしたのか、断片的にしか覚えていない。思い出せるのは相手の歯を折った拳の感触と頭を割った額の鋭い痛み、制服に飛んだ血の色、そして──うずくまって泣いていた篤人の震える肩。


 俺はいつまでも立ち尽くしていた。無慈悲に傷付けられた大切な存在を前に、何も言うことが出来なかった。
「どうせ雀夜が来てくれるって分かってたから、全然怖くなかったよ」
 目元を乱暴に擦って無理に笑う篤人が愛おしく、そして、恐ろしかった。
 一歩間違えれば失っていたかもしれない。そうだ。俺は篤人を、大切な存在を……失うことが恐ろしくて仕方なかったのだ。