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「浩介、Tシャツの補充が終わったら雑貨も全部出しちゃってくれ。それが終わったら店頭ラックの特価商品、すぐ補充できるようにハンガーかけといて」
「了解です」
「合間にレジ見て、必要ならサッカー頼む」
「分かりました!」
 予想外にも出張先の店舗では、現場スタッフと同等の戦力として扱われることとなった。俺が現場経験者だからというよりも、単純に忙しさに人員が追いつけていないからだ。
 フロアは広いが、オープン開始からずっと客がひしめき合っていて満足に身動きが取れない。出した商品はすぐに売れ、陳列もクソもない。大音量のトランスが響き渡る中、スタッフも皆どこか自棄になっていて、このどうにもならない忙しさを楽しんでいるようだった。

「浩介、お前なかなか出来る奴だよ。テンパッて指示出したのに、全部きちんとやってくれたもんな!」
 俺より二つ年上の向坂店長。爽やかでガタイも良く、おまけに仕事もできるという完璧な男。人の良い性格で、俺が来た第一日目の夜、早くも地元の有名な居酒屋へ飲みに連れて行ってくれた。
「一応、二十歳の頃から五年くらい店舗の経験があったので」
「そうなんだ? ウチの会社?」
「いえ、別の会社です」
「そうかぁ、どうりで仕事出来るわけだ。服のセンスも良いし、本社勤務なんて勿体ねえよ。ウチの店に来い」
「あはは、考えときます」
「よろしくな。この仕事、男が少ないからつまんねえんだよ」
「店長、スタッフの子達からモテそうですね」
「いや、すっかり嫌われてるよ。スタッフ泣かさない週なんて無いもん。ついつい、不真面目な子には言い方がきつくなっちゃうんだよな」
「店長はそれだけ仕事に対して真面目ってことじゃないですか」
「そうかな? ――じゃあ、そろそろ戻るわ。浩介はゆっくりしててくれ、煙草吸うなら外に灰皿があるから」
「ありがとうございます」

 一時間の昼休憩だったけど、向坂店長は俺と話しながらコンビニのおにぎりを二つ平らげ、一気にお茶を飲んで三十分と経たないうちに店内へ戻って行った。
 あの頃は俺も、このくらい仕事に対して真面目だったっけ。

「あ、浩介。戻ったら店頭の商品整理を頼む。お前スピードあるから助かるんだよ」
「了解です!」
 やっぱり現場は楽しい。好きな服を着られるのは嬉しい。あちこち動き回って汗をかくのは気持ち良い。一日中本社でイスに座っているよりも、ずっと――。

 *

 それからどのくらい経っただろう。
 十二月に入って本格的に寒くなり、コートを着ていても震えが止まらないほどの気温にますます仕事に行くのが嫌になる、そんな季節。
 あれ以来、混一には会っていない。本当は帰ってからすぐにでも会いに行きたかったけれど、俺が幻龍楼へ行かなかったのは二週間の出張を終えて金銭的に厳しいということと、出張先で思わぬ良いことがあり、今の日常にほんの少し余裕が出てきたという理由が大きかった。
 向坂店長はイベントの後、わざわざ本社に電話をして俺を褒めてくれたのだ。それどころか本当に、人事部の人に俺を自店舗に回して欲しいとまで言ってくれた。住んでる場所がだいぶ遠いから今すぐは無理だけど、いよいよとなったら現場に復帰できるかもしれない。そう思うと退屈な仕事も、部長の陰湿な叱咤も我慢できる。届かぬ所にあった夢が指先に触れたような気がして、仕事に身が入るようになったのだ。前はしょっちゅうあった入力ミスも、今では殆ど無くなった。

 とにかく給料日まであと少し。しかも今月はクリスマスと重なっている。奮発して混一にブランド物のシルバーアクセでもプレゼントしようか。その前に和了に言って、事前に混一を予約した方がいいんだろうか。そうなったらレストランやホテルも押さえないと。大きなケーキと美味い酒も用意して、これまで我慢していた分、朝まで混一と――。



「ニヤけたり、溜息ついたり、何考えてんの?」
 休憩室で弁当を食べていたら、いつの間にか正面に座っていた大野さんが呆れ顔で言った。
「さては出張先で彼女でもできたんでしょ」
「できてないです。クリスマスは今年も独りですよ、俺は」
「へえ。飯島君、最近仕事も出来るようになってきたし、出張先の女の子達からも評判良かったみたいじゃない」
「そんな嘘で釣られる俺じゃありませんよ」
「ほんと、ほんと。何て言うか、うーん……前よりカッコよくなったよね。きりっとしてきた。なんか吹っ切れたみたい、そんな印象」
「吹っ切れたのは当たってます。クリスマスも年末年始も、独りで乗り越える覚悟だけは出来ましたから」
「あはは」
 大口を開けて笑う大野さんを見て、俺も笑った。愛想笑いじゃない。仲間内でする冗談話に笑うノリだ。こんなふうに笑えたのは入社して以来初めてのことかもしれなかった。

「面白い、飯島君。よし、今晩飲みに行こ。独り者同士クリスマスの対策でも練ろう!」
「え? あ、はい……」
「今すごい嫌な顔したね。俺は若いんだからあんたと一緒にするなって思ったでしょ」
「そ、そんなことないですよ」
「良い良い、気にするな。じゃあ仕事終わったら駅前で待ってるから」
「………」
 上機嫌で休憩室を出て行く大野さん。俺は箸を咥えてその後ろ姿を見送った。
 飲みに誘われたのなんて初めてだ。これを機に少しずつ俺も会社に馴染めるかもと思うと、少し嬉しくなった。


 ――その夜、俺は定時より十五分ほど遅れて事務所を後にし、待ち合わせ場所の駅前へと急いだ。同じ会社なのにわざわざ待ち合わせをするなんて変だなとも思ったが、駅前の噴水広場に立っていた大野さんを見て、ああ、なるほどと心の中で呟く。
「飯島君、お疲れ様」
 そこにいた大野さんは会社にいる時よりもずっと念入りにお洒落をしているらしかった。化粧も少し濃くなっているし、髪も巻き直してある。着ている服だっていつものカジュアルなファッションと違って可愛らしいワンピースになっている。ファーが付いた白いウールのコート、茶色のブーツ。何となく大野さんも普通の女なんだなと感じさせる組み合わせだった。
「じゃあ行こうか。私の行きつけの店でいいかな?」
 ぎこちなく隣を歩きながら俺は、どうか同じ会社の人達に目撃されませんようにと祈っていた。今の大野さんと俺が二人で歩いてるところを見られたら、変な噂を立てられかねない。それほど彼女の印象は会社にいる時と違っていた。
 駅裏にある飲み屋街で一軒のビルに入り、地下に続く階段を下りると、大野さんの行きつけだというイタリア料理専門のレストランが現れた。少し値の張る店だ。不安げな俺の表情を察知したのか、大野さんが「先輩の奢りだから気にしないで」と軽く言って笑った。

「私も入社したての頃、当時の先輩に連れてきてもらったんだ」
 向かい合ってテーブルに着くと、大野さんがメニューを開きながら言った。
「だからいつか私も後輩を連れてきてあげようと思ってたんだけど、なかなかそういう後輩が現れなくてね。飯島君が初めてだよ」
「そうなんですか、光栄です」
「遠慮しないで好きな物食べてね。お酒も頼んでいいし」
「いや、酒は止めておきます。また帰れなくなったら困るので……」
「そう? じゃあ私は好きに飲ませてもらうけど」
「構いませんよ」
 それからしばらくの間は仕事の話や部長の愚痴、普段は決してすることのなかった映画や音楽の話などをした。

「美味しい!」
「美味いですね」
 渡り蟹のクリームパスタを美味そうに頬張る大野さんは、やはり会社にいる時と違って、なんだか年上とは思えないほどに無邪気なキャラになっていた。
「ねえ、飯島君のも一口ちょうだい」
「どうぞ。ちょっと辛いですよ」
 多分、俺達は周りに溶け込んでいる。周囲の目には、店内にちらほらいるカップルと何ら変わりないように映っているはずだ。
「うわ、本当に辛いね。何これ、辛っ」
「だ、大丈夫ですか。水飲むともっと辛くなりますよ」
 だけどどういう訳か、大野さんが女の顔を見せれば見せるほど、その厚ぼったさに俺の中で拒否反応が出てしまう。見た目は美人だしスタイルだって抜群な彼女なのに、俺のこの気持ちはどこから湧いてくるんだろう。

「飯島君、昼間も言ったけど本当にカッコよくなったと思うよ」
「そんなことないですって。何も変わってません」
「私が肉食系女子だったら、放っておかないんだけどなあ」
「大野さん、飲み過ぎですよ」
「大丈夫、大丈夫」
 けらけら笑う彼女に愛想笑いを返しつつ、俺は何度も腕時計を盗み見ていた。

「あ、ねえ。見て見て、あそこのカウンター席」
「どうしました?」
 大野さんが目で指した方向に視線を向けると、カウンターに並んで座る二人組の男の姿が目に入った。隣同士で顔を見合せながら楽しげに笑って酒を飲んでいる。
 スーツ姿の裕福そうな中年男と、若くて美しい男――。

「っ……」
 危うく声を洩らしそうになった。
「さっきさ、あのおじさんが男の子の手、握ってたよ。なんか怪しい雰囲気じゃない? あの二人」
「………」
「あ、ほらまた。今度は頭撫でてる。うわあ、すごいなあ公衆の面前で……。理解できないわ、ほんと」
 俺は熱くなった頭を冷まそうと、グラスの中の水を一気に飲み干した。頭の中は燃えるように熱いのに寒気が止まらない。まるで血液の代わりに、体内を氷水が流れているかのようだ。

 どうして。
「………」
 どうして、混一がここに――。